katakuruの日記

しゃべり下手のおじさんが、太らない習慣を手に入れた方法を干からびるまで絞り出します。たまに育児を筆頭にした雑感も愛を持って書きます。

育児に困るのはあなたが受けてきた近代教育のせいです【世の中の親たちへ】

目次

 

育児に悩んだとき

赤ちゃんが、何故泣き止まない何故母乳を飲まない

 

どうにもならないと思える悩みである。

こんなときは、

育児書を頼る、ネットで調べる、ヤフー知恵袋に聞く。ママ友に聞く。

 まずはこういうことをします。

 

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親は正解を欲しがる。

自分の子を無事に健康に育てたい、そして自分にとって楽な方法がないかという思いで(情報社会の中を)東奔西走する。

現代では当然と思える流れである。

 

 

 

「育児書ちゃんと読んでよ。」

 

世の父親は妻に言われた経験があるのではないだろうか。

子を育てるためとは言え、妻は夫に眉をしかめながら言う。

 

向き合うべきは育児

もちろん育児書は大事だ、必要なものだ。

しかし読んでいると違和感を覚えてくる。

 

「赤ちゃんはこうして抱っこすると落ち着いてくれます。」

「もしミルクを上手く飲んでくれない場合はこちらの方法を試してください。」

 

取り扱い説明書のようである。

 

これが育児なのだろうか。

知らない先輩たちが発した情報を実行するのが育児なのだろうか?

 

 

その場では妻にこんなことを言えないが、自分の頭の中ではどんどん考えがめぐる。考えがめぐればめぐるほど、訊かなくてもわかる疑問が生まれる。

 

この本の著者は今自分の目の前で泣いているこの子のことを知っているのか?

 

 

正しいか間違っているかのみを価値基準にしている世の親たち。それで結局何が正しいのか分からなくなっているということはないだろうかか。


自分が向き合わなきゃいけないのは、自分の目の前で泣いているこの子である。育児書ではない。

育児書にこの子のことは載っていない。

より多くの子を網羅できるように、より多くの母親父親の助けになるようにという精神で作られているのが育児書だ。だからこそ、その著書の評判は良好になるから、その育児書通りにすることが正解だと思いこんでしまうし、育児書通りに自分の子が振る舞わないと不安になってしまう。

正解をページをめくった中から見つけられると思っているからだ。

 

悲しいことに、自分の子それ自体が不正解だと思う人すらいるかも知れない。

 

Knowing重視の近代教育

例えば明治時代以前ではどうだったんだろうと想像してみる。

 

江戸時代の書物をみても、仮名遣いや漢字などはっきり言って、思い思いである。正解など誰も設定していない。何が正しいのかをはっきり決めたのは敗戦後。昭和21年の学制改革の中で学校教育法により教育制度を確立させるため、正解一つの問題を取り扱うようになったのだ。Knowing重視で教育すれば教育の成果が分かりやすいから、まずはそれを以って図りたいだろう。学校教育制度は制度というだけあってシステマチックなのである。

 

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育児の話に戻る。

昔は育児に正解などなかったはずだ。それでも母は子に向き合い育ててきた。教育だって、正解のある教育など受けていないはずでも22歳の若さで伊予松山藩の老中を務めた男だっている。近代教育の知識詰め込みの弊害(と言っていいか分からないが)により正誤を判断の基準にするクセがいつの頃からか身に染み込んでいる。

 

親が心持っておくべきこと。

子を育てるのにも既にある正解に価値を置いてしまい、目の前の子と向き合おうとしなくなる。

 

私は思う。

分からないことは分からないで良い。正解を知ろうとするのも、また分からないことを気にしないのも、どちらも思考放棄である。だが後者は自分を無意識が助けにきてくれる。

それを頼って良いほど母たちは十分経験しているのである。

 

 あなたの子は人である。

一度きりの人生を、もうスタートしている。

 

自分の子は自分の子ですから、どうぞ迷わずに自信を持って育ててください。

 

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